はじめに

書体の移りかわり

古典の歴史

書体と線質

点画の基本 統一と変化 文字の配置

道標
小林秀雄


路傍の書
棟方志功歌碑

路傍の書
与謝野晶子歌碑

路傍の書
石川啄木歌碑

古池や
蛙飛び込む水の音 
芭蕉歌碑

下部温泉
石原裕次郎



掲示板

 篆 書

甲骨文

 甲骨文字(こうこつもじ) 殷後期 

 殷人は、征戦・狩猟・農耕・出遊など、あらゆることがらについて、神意を問うために占いをしました。
 亀甲や牛骨の裏面に溝を彫り、表面に出たひび割れによって占いました。筆画は直線的で字形は簡潔ですが、緊張感のあふれた造形です。
金文


 獻殷銘文(けんきめいぶん) 西周初期

 殷・周時代の銅器の銘文を金文と呼んでいます。当時の古い書体の呼び名としても使われています。
 銘文には獻という人が、主君から青銅の飾りのついた車を賜与されたので、その恩寵にこたえたという事が書かれています。
字形は自然で大小入りまじっていますが、よく形がまとまりがあります。
石鼓文


 石鼓文(せっこぶん) 東周

 金文の次にくる字画文字・篆書の遺品です。
実印の文字がこの範疇に属します。祭祀のため青銅器に鋳込まれた金文に替わり、政治儀礼のために石に刻された文字で、その名の通り鼓型の石に刻されています。
 始皇帝時代の小篆の祖とされ、大篆とも呼ばれています。

 隷 書

礼器碑

 礼器碑(れいきひ) 156年 

 どこか華やいだ雰囲気をもつ礼器碑は隷書の雄です。横画末尾の波状形を波礫(はたく)と呼び、波礫の美しく伸びた書体を八分体と称します。
篆書の垂直長体に対して、隷書はその文字を周囲に押し広げる文字で、水平の扁平体の姿をしています。

 草 書

木簡

木簡(もっかん)

 草書は楷書から行書へ、さらに行書をくずして草書が生まれたと考えられやすいのですが、草書は楷書に先行して生まれました。
 草書は書簡など書く速度が優先化され、字画を省略した文字です。
書譜


書譜(しょふ) 唐(687)

 孫過庭の書譜はすぐれた書の評論であり、また唐代の代表的な草書の名跡です。書者であり著作者でもある孫過庭は、この書譜を書いたことによって、書の歴史にその名を留めました。
 学書者の必読の書論であるとともに、草書の手本としては最高のものです。

 行 書

蘭亭序

蘭亭序 (らんていじょ) 王義之  

 蘭亭序は東晋時代に王羲之が曲水の宴を開催し、その日の状況を書いたものとされています。
現存する蘭亭序は唐代になってから太宗皇帝の命を受け、唐代の書人たちが忠実に臨書したものとされています。
 蘭亭叙は王義之の行書の代表作で、行書の入門法帖として最適なものとされています。
争坐位稿


争坐位稿(そうざいこう)674 顔真卿

 顔真卿の書簡の原稿です。点画の中へ筆の力を盛りこみ、巻きこむように一気に書き進む書きぶりには、人間の意志というものが強く感じられます。
 王義之の書は天地自然と一体となった華やかに対し、顔真卿の書は人間性を発露した逞しい書風を創りだし、後代に与えた影響の面では、王義之を凌ぐほどの地位を確立しました。

 楷 書

雁塔聖教序

雁塔聖教序(がんとうしょうぎょうのじょ) 653 緒遂良

 玄奘三蔵の漢訳仏典の功に、唐の太宗と皇太子(高宗)が与えた序文です。これを緒遂良が書き、陳西省長安の慈恩寺大雁塔にはめこまれました。
 緒遂良は欧陽洵、虞世南とともに初唐の三大書家の一人で、とくに楷書に絢爛たる光輝を与えました。軽妙な筆使いは、風に吹かれて天空に舞う花びらのようだと評されています
九成宮醴泉銘


九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんのめい)632 欧陽詢

 楷法の極則であり、書の中の書です。
主横画は右上がりで主縦画は垂直です。真直ぐに刻されたその姿は、引き締まり緊張感に溢れています。
孔子廟堂碑


孔子廟堂碑(こうしびょうどうのひ)628〜630 虞世南

 長安(西安)の孔子廟再建の記念碑である孔子廟堂碑は、欧陽絢の「九成宮醴泉銘」に比べると、まるで紙に書かれている感じで穏やかな印象です。
 その穏やかさが日本人に好まれています。
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